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アンダーバー

だれにでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略がない人間には最初からチャンスがない。自分が何をしたいかが分かっているからその目標に従って科学的な努力が可能になる。戦略を行使するためのモチベーションの対象を持っているか持っていないかですべてが決まってしまう。そして、モチベーションの対象を持っている人は、全体の数パーセントだろう、彼らは自分の人生を選択する。自分の人生を選択するために、自分の資源をチェックし、モチベーションの対象に集中して投資するのだ。この世の中には、それができる人と、できない人がいるだけで、それ以外にはいない。きっかけも秘訣も苦労も関係がない。

村上龍「置き去りにされる人々」P31

(via reretlet) (via hogefugapiyo, thanks-a-million) 2009-11-10 (via gkojay) (via urume) (via yaruolikes) (via yaruo)

(Source: ForGIFs.com)

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二宮金次郎像の撤去って、いよいよ大人まで馬鹿になったって事か。二宮金次郎像の意図は、「歩きながら勉強しろ」じゃねえだろ。寸暇を惜しんで学ぶ姿勢を持ちないって言う意味だ。ものが指し示す暗喩、意図を読み取ることをとことん無くしていったら、いよいよアホの子ばっかりになるじゃねえか。
みんな、悪い事言わんから、はてなブックマークにネガコメ書く時間があたら、さっさと寝て明日に備えろ。あるいは本でも読め。できれば妻と話したり、子供と遊んだり、友達と電話したりしろ。僕はこれまで何度も他人と不毛なやりとりをしてきたけれど、それが人生のプラスになったことは一度もないよ。
エロゲーやっても彼女できないんだから暴力的なゲームやっても暴力的になるわけがない
twitterでらくがきをアップして創作力を発散させるorふたばみたいな特殊な画像掲示板でらくがきをアップして、絵についたコメントで盛り上がって承認欲求を発散する→絵を完成させないので画力が上がらず、ずっとそのまま
(via otsune)

あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

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こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。

これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。

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なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。

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そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。

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結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。

asiamoth:

ネットで拾った変な画像59枚目(145~250) | 画Zoo 総合館 2ch画像スレ まとめサイト
犬ちゃん楽しそう! 友だちも釣られてマネしているところが最高ですね!

asiamoth:

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昔は出会いの場は少なかった。だから狭い世界で出会った人と、多少のことは目をつむって暮らしてきた。昔の大人は我慢強かった。世界が狭いがゆえに、そこで生きて行くしかないことをよく知っていた。狭い世界は、15年や20年も人生を送れば一通りのものが見られた。その世界の外側があることは認識してても、届くものではなかった。好奇心は失われ、黙々と生きる日々を送ることができた。

いま、世界は事実上の無限に広がっている。人々との出会いはいくらでもある。聞いてすらもらえなかった話を聞いてくれる人々にもどんどん出会える。

住みたいところに住み、食べたいものを食べ、寝たいところで寝る。そんなのもそう難しい話ではなくなった。

広がりすぎた世界にいると、好奇心の満足することがない。飽きることがない。だって世界は無限だし。

好奇心を失うことが大人になることだった時代は、そこで終りを告げる。昔の大人から見れば、いつまでたっても子供のままに見えるだろう。落ち着くことがない。だってまだまだ新しいものが見えるし。

どう考えても若者論より「大人論」のほうが必要ですという記事。この内容には大きく共感するものがある。無限の時代に生きる我々は、新しい大人像を模索する必要がある。

uinyan:

YOLO :-D!

It would have been better if it was a crashed Lamborghini. 

Or 89 Ford Tempo

(Source: pelandobananas)

 ほんとは、現職にいる時、うちの社員と名のつく人に全部あって握手してやりたか
った。社長を辞めて、やっとその念願を果たすことができた。
 日本国内で700ヶ所、回るのに1年半かかったよ。それから海外の駐在員のとこ
ろを飛行機で回った。それも半年かかったもんだ。

 うちの社員でありながら、オレの顔を見たことがないのが大勢いるんだ。ことに地方
の出張所や、SFというサービス機関の社員とかね。
 一人ひとり手を握ったんだ。オレは涙が出た。むこうの若い連中も泣いたよ。

 けど、オレは士気を鼓舞するなんて気じゃない。自分が嬉しいからや
るんだ。オレは社長を辞めて、やっと人間らしいものにいきあったよ。

トルストイは貴族なのに、最も貧しい人たちと同じ生活をしようとした。あるアメリカ人は「立派なことだが、それで貧乏は理解できない。金品の不足ではなく、今後の生活への恐怖が貧乏なのだから」と言った。

活字中毒R。 (via to, no-where—now-here)

2008-05-09

(via gkojay)

(via xlheads) (via mcsgsym) (via katoyuu) (via matakimika)

2011-07-06

(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym) (via katoyuu)